今、思うこと

インターネット上では、当事者以外の見えない何かの力が働くことを思い知った。しかも、その見えない何かには、当事者ではないだけに真剣さを欠いた、子供の無邪気な残忍さとも似た一種の遊び心的な恐さがあるように思う。
その見えない力をどうこうしようとしたところで、その対象が見えないだけに手の付けようがない。結局は当事者に全ての責任を背負う覚悟がいるのだろう。
インターネット上において、自分の意見を公表することの責任の大きさをあらためて思い知りました。おわり。